nikkeibp.jp より
精神科医が警告! ウソがつけないと鬱になる
オフィス街でストレス診療をしていて思うのは、「鬱な人はウソがつけない」ということです。
とりあえずメモ、コメントは後で。
おおむね同意。ウソっていうか、前向きに進むための方便という感じ。自分の中に背負い込んで発散できないのがヤッパリ一番まずいなぁと俺も思うなぁ。真面目な人ほど責任を自分に押しつけるんじゃないかと最近改めて思ったりすることもあるので。
個人的には師匠に教えて貰ったケ・セラ・セラの唄の精神っていうのが印象的で、自分ではどうにもならないときは、自分がやることをやれば、後は何とかなるさと思うようししてます。そこに立ち止まるより前へ。何とかなる。
Que sera, sera
ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be
なるようになるわ、なるように
The future’s not ours to see
先のことは私たちにはわからないの
Que sera, sera
ケ・セラ・セラ
What will be, will be
なるようになるわ、なるように
リンク先の記事を読んでみたんだけど、ううむ、って感じだなあ。
>営業の進捗を問われたら、もし厳しくても「あと一押しで何とかなりそう」と前向きな返事をしましょう。
って、それはウソと言うよりプラス思考とか自己暗示ていうよね、ふつう…
そりゃプラス思考も自己暗示もある意味「ウソ」って言えばウソなんだけど、それを身もふたもなく「ウソ」って書いちゃってるこの記事がまさに「ウソをつけてない」状態かと。
んー、そういう考えもあるねー。
読んだときは「ウソ」って言葉を、悩んでいる人にすっと受け入れて貰えるようにするためのキャッチに使っているなと思って、単にテクニックと思ったから、それ以上考えなかったなぁ。
前半の「今日は熱が…」と「電話したけど不在で…」とかまではわかるんだけど、その後の「いいところ見つけて大げさに言う」「肯定的な暗示を与える」という例で話がすり替わってきてるように思えるんだよね。タイトルが「ポジティブにいこう!たまにはウソもつこう。なるようになるさ」くらいなら気にならないんだけど、「ウソがつけない→鬱になる」というタイトルでこの内容だと、「私は前向きに考えるべきだ(さもないと鬱になる)」というこれはこれで鬱になりそうな信念を持ってしまう人だっているかもしれないと思ったのね。
まあそういう記事のあれこれはさておき、ケ・セラ・セラの唄の精神が大切というのは単純にすごく同意です。
カウンセリングはある意味マインドコントロールみたいなものだから、強迫観念を押しつけるのかもしれないですな。
ケ・セラ・セラの唄の精神を教えるて送り出すって辺りがやっぱりウチの師匠っぽいなと思ったり。